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コロナでの自粛期間、
じわじわと自分の心が辛くなってきて
前職を辞めた頃のような自分への悲観的な気分に取り憑かれ始めてる
なぜなのか思い当たるところがなくて、
色んな本を手当たり次第読んだりしているけど…
やっとひとつ思い当たったのは、
今の職場での毎日がなくなってしまったことで、
前の仕事を辞めた時の自分に戻ってしまうような怖さがあったんじゃないかしら。。
今の仕事を通して日々新しい杭を打ち、新しい足場を組み、
「大丈夫、わたしは前とは違う、今は大丈夫よ」
って自分自身で確認できていたの、たぶん。
その安心感・前に進めている感覚がなくなってしまったのではないかしら
背追い込みすぎる自分、
周りの希望を無条件に自分の行動に投影しすぎる自分、
枯葉のようだった自分、
傷だらけで恐怖でいっぱいだった自分を、
今の職場での仕事を通して日々更新・上書きしていたのよ、たぶん。
1ヶ月も職場から離れてしまうと、
今の職場の日々は夢だったんじゃないかという程の気分になる。
だけどこの1年間は夢ではなかったはず…
前を向いて働いていたこの1年間を無かったことにしてしまう程、すぐに揺り戻されてしまう程に、あの頃のダメージが深くて鮮烈だということね
悔しい気がするけれど仕方ない
ひとつ言えることは、
心がささくれだっているようなこういう不快な感覚は、
その正体を見極めて言語化できるとある程度すっきりするということ
身体中の神経が過敏になってirritatedという感じだったけれど、やっと全身のチリチリ感が引いて涼やかになってきた。
桜のつぼみ 3月14日
夜7時半の、帰り道。
何も言うことをきかないでっかいプードルを引っ張る世田谷レディがいて、ひとりで笑ってしまった。洗練の権化のような服に身を包んだ女の人。
お寺の横を通るとき、目をつぶさにして桜の花を見つけようとしたけれど、まだ咲いてはいなかった。今日の昼間は汗ばみそうなくらい暖かくて、朝眺めたときと比べても、つぼみが膨らんだ感じがした。
昔から、夜空の星をようく見ようと目を凝らすとき、イヤフォンを外す癖がある。夜空のしんとした音に耳を澄ませるように。後日になってから、星は歌っていることが発見されたというニュースを見たとき、何千光年も先から歌いかける星の声を聞こうとしていたのかしらと思った。
さっき桜の花を探して注意深くつぼみを見ていた時も、やっぱり無意識にイヤフォンを取ろうとしていた。
星や、花は、聞こえないけれど歌っているのかしら。